ト ン デ モ ア リ マ セ ン
上司と部下の会話。とある雀荘で。
「お前、字牌で待っていただろう。南(ナン)か?」
「いえ、ナンじゃありませんよ」
「じゃあ東(トン)か」
「トンでもありません」
うひゃ、かなり強引。でもこれなら一応正しい日本語。
ある日の会社で。
「いやぁ、キミのおかげで上手くいったよ」
「とんでもありません」
友人がFacebookで「煮詰まる」の誤用について触れていた。逆の意味で使われているケースが多いと。確かにね。他にも「役不足」とか「潮時」とか、使い方が逆だよと指摘したくなることはよくある。それでも、個人的にはこういう誤用に比較的寛容だったりする。仕事上は、正しい(というか伝統的用法の)日本語を使うように細心の注意を払っているけど。
「この企画、しっかり煮詰めてね」
「なんだかこの企画、煮詰まってきちゃったなぁ」
後者は誤用なんだけど…。料理に喩えた言葉なわけで、おいしく仕上げる手法の「煮詰める」も、やりすぎて煮詰まって焦げ付いてどーにもならなくなる場合があるでしょ。だから、前後のニュアンスで悪い方の喩えに使ってもイイんじゃないの、ってこと。もし川端康成や夏目漱石あたりが「焦げ付いた煮物のごとく煮詰まって…」なんて書いていたとしたら、今頃それが正しい日本語として認められているはずだから。
日本語に限らず、言葉というのはコミュニケーションの手段であって、時代によって、関係によって、柔軟でいいと思う。仮にそれが不勉強からくる変化だったとしても、広く一般に定着したとしたら、正しい日本語なのだから。
例えば「スゲー!」っていうのも、平安のころには「気味が悪い」「ゾッとするほど恐ろしい」という意味だった。それが江戸のころから逆の意味である「すばらしい」という意味でも使われるようになったわけで。
で、冒頭の「とんでもありません」。「とんでもない」で一つの言葉だから「ない」だけを「ありません」にするのは間違い、「とんでもないです」「とんでもないことでございます」とするのが正しい…ということなんだけど。
ウチの広辞苑は第五版なので載っていないが、第六版からはこう書かれている。
相手のことばを強く否定して《中略》「とんでもありません」「とんでもございません」の形で使う
さらに調べると、文化庁も2007年の「敬語の指針」で
『とんでもございません』(『とんでもありません』)は、相手からの褒めや賞賛などを軽く打ち消すときの表現であり、現在では、こうした状況で使うことは問題がないと考えられる
と容認しちゃっているね、知らなかったけど。
もはや、「日本語として間違っている」なんて頭ごなしに叱るジジババこそ、時代遅れで間違っているわけで、みっともありませんわよ。←やっぱ違和感あるな
「ら」抜き「い」抜き言葉だって、100年後には正しい日本語になっているかもしれないしねー。
ともあれ、日本語ってとても粋だと思う。芸術的な喩えだったり、しょーもない駄洒落だったり。作家やコピーライターは、時代時代に新しい表現を生み出してきた。スゲーよ、日本語。
それでも、「かっけー」「きしょい」だけはセンスないなぁと認めたくないおっさんの戯れ言でした。